正門をくぐると左手に、桜の木立があります。その中に、創立者である武中武二先生の胸像と、校訓「にこやかに働け」と刻まれた石碑が建っています。
本校は、1927年、昭和2年、武二先生によって、「広く社会で活躍する女性を育てる」という目的をもって、当時東京では初めての5年制の女子商業学校として創設された学校です。1930年に発表された校訓について、武二先生は次のように記しています。
当時の我国の風潮としては、未だ勤労べっ視の傾向が残っており、特に女子の勤労に対して甚だしく、(中略)軽蔑の意味が含んでいたことなどに対する反抗として生まれたものであります。現在はかかる風潮は無くなったけれども、凡ての価値の基をなす勤労を尊び、にこやかに之に立ち向うことこそ、人として最も大切なことであると思っております。
そして、勉学もよき労働の前提として、之を包含させ、にこやかに働け、にこやかに勉学せよ、を声高らかに生徒に呼びかけるのであります。
「成徳学園物語」より
時代は昭和から平成、令和と変わり、女性が職業人として活躍することは特別なことではなくなりました。そして、「人生100年時代」が訪れようとしています。いま、十代を生きるみなさんは、まさに予測不能の未来を生きていくことになります。働き方も生き方も変化の多いものになっていくことでしょう。変化には不安が伴うものですが、そのときにこそ、にこやかに、しなやかに、学び続ける姿勢が、未来でたくましく生きる力を与えてくれると思います。
下北沢成徳高等学校は、幅広い、体験的な学びの機会を大切にしています。色々な人と出会い、多様な価値観に触れ、学ぶ意味、喜びを知る場所です。
私たちは、にこやかに学び、未来で輝き続ける女性を育ててまいります。
下北沢成徳の建学の精神は、1927年、創立者・武中武二が志した「広く社会で活躍する女性を育てる」に基づきます。そして「学ぶ人を育てる」「品性を育む」を教育目標に掲げ、今日まで実践してきました。また、学園・教師・生徒の間には「助ける精神」が養われているのも伝統の校風。学ぶ姿勢や品位、女性だからこそ必要な自主性や女性ならではの人を癒す力がこうして培われていきます。創立以来、90余年、生徒一人ひとりの可能性を限りなく伸ばしていく武中武二の志が、脈々と受け継がれています。
女子商業学校として開設された本学園の校訓は「にこやかに働け」です。
創立者武中武二先生は校訓の由来として
「当時の我国の風潮としては、未だ労働べっ視の傾向が残っており、特に女子の勤労に対してははなはだしく、女事務員という言葉には、軽蔑の意味が含まれていたことなどに対する反抗として生まれた。現在はかかる風潮はなくなったけれども、凡ての価値の基をなす勤労を尊び、にこやかに之に立ち向かうことこそ、人として最も大切なことである。」と綴っており、その前提としての勉学を奨励する意味をこめてこの校訓を考えられました。この校訓が刻まれた石碑は、昭和29年3月に卒業生によって建てられ、現在は体育館へ向かう中庭に設置してあります。
女子商業学校としてスタートした本学園の校章は、創立者の武中武二先生の出身校である東京商科大学(現一橋大学)の校章(マーキュリー)を参考にデザインされました。商業高校にふさわしく、マーキュリーはローマ神話の商業の神様であり、羽は「向上・活躍・理想」を表し、中央の杖は「安全・堅実・現実」を表しています。昭和23年の学制改革により、成徳中学・高等学校に生まれ変わった折に、校章も一部変更され、羽と杖のデザインはそのままにSEITOKUの文字が入ったデザインになりました。
創立者・武中武二先生、成徳女子商業学校を設立
生徒数、1,000名を突破
戦災により木造校舎焼失。鉄筋校舎のみ残る
学制改革により、成徳中学校・成徳高等学校となる
成徳高等学校、第1回卒業式
学校法人成徳学園となり、成徳学園中学校・成徳学園高等学校となる
私立女子校としては全国で初めて、産業(商業)教育研究校に指定される
商業科を廃止。普通コース・進学コースを設置
創立50周年記念事業としてせいとく幼稚園開園
アメリカ研修旅行開始
グリーンキャンプ開始
創立60周年記念事業として、軽井沢山荘が完成
国際理解コースを設置
コンピュータ教室を設置
国際理解・特進・綜合・日本文化の4コースを設置
国際理解・文理の2コースを設置
オーストラリア修学旅行開始
下北沢成徳高等学校に校名を変更
新制服採用
新校舎完成
創立80周年記念式典を挙行
3コース制(特進・進学・国際)を設置
クォーター制導入
創立90周年記念式典を挙行
2コース制(グローバルエデュケーション・ブロードエデュケーション)を設置