今回の自衛隊機墜落の報道を受け、私は1999年11月22日の墜落事故を思い出しました。
この事故は、1999年11月22日15時45分ころ航空自衛隊入間基地近くの埼玉県狭山市で起きました。飛行機は高圧線を広範囲に切断した後、入間川の河川敷に墜落しました。この事故で約80万戸が停電しました。操縦していたのはいずれも飛行時間数千時間の大ベテランの二等空佐と三等空佐でした。
13時40分ころエンジントラブルによる緊急事態が宣言され、その2分後に緊急脱出を通報しましたが、実際は脱出をせず、操縦を続けました。このとき緊急脱出をしていれば彼らは命を落とさずに済んでいたことでしょう。墜落地点あたりは学校や住宅が密集しており、もし脱出していればパイロットがいなくなった機体は、学校や住宅に激突し多くの人命が失われたかもしれません。
1回目の緊急脱出通報から10数秒後、2度目の緊急脱出通報をし、二人は脱出をしましたが、既に高度が不足しており、パラシュートが開く前に地面に激突し命を落としました。彼らは、死を覚悟しながら、学校や住宅を避け、飛行機の着地点を選んだのでしょう。残念ながらこの2人の尊い決断を称える報道はありませんでした。また、会見した防衛庁長官からも「彼らは私たち自衛官の誇りです。彼らは、国民の命を守るという自身の任務を、命を賭して全うしたのです。」という一言はありませんでした。
人は愛する人のために命を投げ出すこともあります。お互い助け合ってこそ人間です。私はこのような「人を助ける」人を育てる学校作りをしてまいります。
お二人のご冥福を改めてお祈りいたします。また、今回事故にあわれたお二人も緊急脱出をしていません。恐らく同じように国民を守る決断をしたのかも知れない、と推測をしています。お二人の無事を心よりお祈りいたします。